昭和51年9月台風17号にかかる災害
気象の状況
総雨量図(7月8日9時〜7月14日9時) |
秋雨前線により、昭和51年 9月8日午後より、県下東部でやや雨が強く降り始め、9日も降り続いた。9日24時には、連続雨量が100mmを超え、雨域はそのまま停滞し、10日には100mm〜200mmの大雨が降った。11日には、降雨範囲はさらに広がり、県南西部にかけて100mm〜200mmの大雨が降り、県東部では、300mmを超える所も発生した。南東部の長島では、11日の日雨量が500mmに達し、これまでの県内の日雨量記録340mm(奥津)を大幅に更新した。12日も県東部では、降雨は続いた。 台風による直接の影響は13日に現れ、強い雨の区域は県東部に集中したが、台風が北上するにつれ、県南西部にも広がった。このため、期間中の総雨量は、県東部と南西部で多く500mmを超過した。特に、南東部では、900mmを超過し、年間雨量の60〜70%にもあたる記録的な豪雨となった。
岡山県の主要地点における積算雨量と災害の関係 |
被災状況
昭和51年 9月8日から13日までの中国地方を襲った台風17号と、秋雨前線による集中豪雨により、岡山南東部・南西部を中心に死者19名の被害が発生した。 県内のがけ崩れ等による被害は、死者3名、負傷者1名、全壊 29戸(内非住家1)、半壊 25戸、一部破損 118戸に達した。県内各地では、916箇所のがけ崩れ等が発生し、特に、被害が著しい地域のがけ崩れ等の発生箇所数は、東備で279箇所、岡山で160箇所、井笠で158箇所であった。
邑久町、長島愛生園の被害 | 笠岡市北木島の土砂流による家屋の被害 (全壊1戸、半壊2戸、死者2名) |
主な被災箇所
笠岡市大島中山城
9月12日午後4時過ぎ、人家裏山が高さ30m幅20mにわたって崩壊して人家を直撃したため、同家家族、親族等9人が生き埋めとなり1人が死亡した。同家では同日午前2時半頃裏山竹藪が高さ10m崩れて家の中に土砂が流入したため家族、親族、隣人等約30人が土砂除去作業中であったが、小崩壊が継続するため近所の人達は避難、家の中に残っていた人達が遭難した。